若林雅樹氏

譲渡企業:スクルドホールディングス株式会社
  譲受企業:SOUホールディングス株式会社

後継問題からM&Aへ

1967年生まれ。ヴァルハラ・アセットマネジメント株式会社 代表取締役社長 兼 JUMBO AIRLINE 株式会社 代表取締役。株式会社スクルドアンドカンパニー創業者 (2020年 スクルドホールディングス株式会社に移行)。 大学卒業後、日系メーカーに入社。同社にて新規事業の海外マーケティング担当者として、カナダ・バンクーバーに駐在。帰国後はアジア市場のマーケティングを担当。海外事業の縮小に伴い人材企業に転職。 その後は複数企業で人材事業の立て直し並びに、新設法人立ち上げ、社長として経営に携わる。2007年8月に株式会社スクルドアンドカンパニー(現スクルドホールディングス株式会社)を創業して保育園事業を全国展開。2021年8月にSOUホールディングス株式会社に株式譲渡。

譲渡企業

会社名
スクルドホールディングス株式会社
経営期間
2007年8月~2022年5月
事業内容
■認可保育事業 ■事業所内保育事業 ■FCコンサルティング事業

譲渡内容

譲渡額
非公開
譲渡範囲
100%

EXITERの経歴

氏名
若林雅樹
経歴
1967年生まれ。ヴァルハラ・アセットマネジメント株式会社、JUMBO AIRLINE 株式会社 代表取締役社長。株式会社スクルドアンドカンパニー創業者。
大学卒業後、日系のメーカーに入社。同社にて新規事業の北米市場マーケティング担当として、カナダ・バンクーバーに駐在。帰国後はアジア市場を担当。海外事業の縮小に伴い人材企業に転職。
その後は複数企業で人材事業の立て直しから、新規法人立ち上げ、雇われ社長として経営に携わる。
2007年8月に株式会社スクルドアンドカンパニーを創業して保育園事業を全国展開。2021年8月にSOUホールディングス株式会社に株式譲渡。

会社員時代の経験

学生時代から人と群れて行動する事が好きではなくサラリーマンは向かないと感じていたためWスクールで公認会計士を目指していた時期があります。
その頃から将来的には組織の中で働くのではなく、自身で意思決定が出来るような仕事がしたいと考えていましたね。

新卒でメーカーに入社して社長室に配属となります。当時はバブル真っ只中で、入社後半年間は株式運用や経営企画に従事します。経済情勢が良かったので会社は新規事業に力を入れていました。医療機器を開発し総合商社と手を組み海外に売り込んでいこうとしていたタイミングで、会社より北米の企画マーケティングをやらないかとの打診があり、カナダ・バンクーバーに駐在員として北米市場並びに欧州市場を担当する事になりました。社長室の業務内容と比較して面白味があり、仕事に没頭していきました。北米での仕事ぶりを評価いただいて、帰国後は新たにアジアで医療機器を拡販していく事となり、韓国・台湾を中心に市場調査を行いました。その後、会社の方針として海外事業を縮小する事となったため、転職を検討します。

日経新聞を見ながら転職先を探していたところ、当時未上場であった株式会社ジェイエイシーリクルートメント(以下JAC)で人材コンサルタント職の募集がある事を知り転職を決意します。そこから私は人材業界で長いキャリアを築いていく事となります。
JACでは外資系企業担当チームの人材コンサルタントとして3年間キャリアを積みます。取引先であった外資系企業の方から、人材紹介会社を作りたいから雇われ社長として人材紹介会社の立ち上げをしてほしいとのお話を頂きます。元々独立意欲があった私には事業をゼロから立ち上げられるまたとないチャンスでした。そこで社長として人材事業を立ち上げて、3年程で事業が軌道に乗り始めました。
その頃にJAC時代の同僚から連絡があり、彼女の転職先である大手総合人材関連会社の人材紹介部門が上手くいっておらず、立て直しの手伝いをしてほしいとの話がありマネージャー職として事業の立て直しに参画します。事業が一定軌道に乗ったタイミングでヘッドハンターから連絡を頂き、新たに立ち上げる人材紹介会社の社長に就任して人材事業の立ち上げを行い、3年間会社経営を行いました。

そして当時転職は考えていませんでしたが、前々職時代の友人からの連絡がキッカケで起業をする事となります。
友人は大阪の企業に在籍しており、その企業は第二の事業として人材紹介事業を行っていました。
その会社は本業の業績が傾き人材紹介事業から撤退する可能性があるので、私が社長を務めている会社に事業譲渡で受け入れてくれないかと話がありました。オーナーに確認したところ、あまり気乗りがしないようでお断りをしてほしいとのことでした。
やらないのであれば私がその部門のスタッフを引き受けて起業しようと考え、2007年8月に立ち上げた会社が株式会社スクルドアンドカンパニーです。

株式会社スクルドアンドカンパニー創業

起業当初は人材紹介事業をメインとしていました。
起業した年にプライベートで子供を授かったことから保育園探しがキッカケとなり、保育事業に参入する事となります。
子どもが生まれて妻も職場復帰をしたいと話していたので、一緒に保育園巡りをして娘に合いそうな保育園を探しました。当時は待機児童問題が徐々に話題になり始めていた時代でした。娘は運良く認可保育園に入る事ができましたが、保育園探しで認可保育園と認可外保育園の両方を見て感じたことは、認可外保育園の環境の悪さでした。一方で認可保育園はお役所仕事に近い感覚で、サービス業としての意識の低さを感じました。例えば、保護者がおむつを持ち込み、おむつを持ち帰るごみ袋をセットしなければならず、退園時にそのゴミを持ち帰る。土曜日に昼寝用のシーツを持ち帰って洗濯し、月曜に持参する。働く親の負担がとても大きく感じました。そしてもっと工夫の余地があると感じました。

また、同時に保育園と幼稚園の違いにも気づく事となります。保育園は厚労省、幼稚園は文科省と管轄が異なります。保育園は一定期間子どもを預かる社会福祉施設という位置づけに対して、幼稚園は小学校に上がる前の初等教育機関という位置づけとなります。同じ年齢の子どもを預かる場所であっても、位置づけと思想が異なることに不公平さを感じました。
様々な保育園を見ていく中で”こういう保育園があったらいいな”と考えるようになり、小さくても良いから自身で始めようと考え浦安で第一号の認可外保育園を開園します。保育園事業を始めると、そちらの事業の方が面白くなり会社としてもメイン事業に切り替わっていきました。

私が参入した当時は認可保育園を作る事は、夢のまた夢のような話。社会福祉法人、公立保育園、ごく一部の上場企業しか認可を取得する事が出来ない時代です。我々のような新規参入企業は、まず認証・認定保育園を取る事を目指します。その後、埼玉県の大宮で家庭保育室が最初の認定保育園となり、千葉県内でも認定保育園を開園する事ができました。そこから数年後に待機児童問題が世間を大きく賑わせるようになり、行政の緊急処置として特に枠のない0-2歳児のお子様を預かる場として小規模認可保育園という新しい認可保育園の枠を設ける事になります。

関東での認可取得が難しい状況の中で、名古屋市の河村市長が保育にチカラを入れており、比較的認可を取得しやすくなっている事を知ります。その頃に保育園のコンサルタントを行っていた人物と知り合い名古屋で初めて小規模認可保育園を取得しました。行政は実績主義のため、1園取れたら2園目、3園目と評判が良ければ優先的に枠を任せてくれたので、名古屋市内で拡大を進めて市内では1番保育園数が多い事業者となります。
その後は名古屋市の実績が評価され関東で認可保育園を開園し、ついに東京で認可を取得する事が出来ました。認可が増えるにつれて、企業の信頼・実績、財務体力がついてきました。

2015年以降は、北は北海道から南は福岡まで全国に保育園を拡大していき、同業の保育事業会社を2社M&Aにて友好的買収も経験する事が出来ました。

M&Aを考えた理由

元々M&Aを検討したわけではありませんでした。2018年頃から後継者を考え始めたことが結果的にきっかけになっています。
会社は従業員1000名、売上高26億円規模(次期決算では46億円程度がほぼ確定)にまで成長していました。
娘を後継者にとも考えましたが、彼女は経営者向きの性格ではなく、本人も引き継がれることを望んでいませんでした。

1番良いのは早めに社内のメンバーに社長職をバトンタッチして、組織的に動ける体制を整える事が必要であると考えます。
社内に非常に優秀な役員がいたため、将来的に後を継がないかと話したところ本人も前向きに考えてくれました。バトンタッチする上で、ネックになった点が個人保証です。オーナー社長でない人間が、個人保証をするのはおかしな話です。
銀行と継続して取引する中で、会社の業績が非常に好調でしたので、新規の借入をどこの銀行に依頼するか、選択権が当方にある様な大変恵まれた状況のもと、ある銀行さんから「今後は個人保証はいらないし、これまでの借入の個人保証も全て解除してさせて頂く」とお話を頂いてから、他全ての金融機関からも個人保証はなしで借り入れができるようになりました。
しかしながら社長を交代する場合、無担保・無保証が継続できるかわからないため、東京プロマーケットへの上場を目指すことにしました。上場要綱の中に個人保証の除外があるため、環境がきれいになったタイミングで次期社長候補の役員に引き継げると考えたのです。

上場に向けて動く中で、MBOで社長になる予定の役員に引き継いでいくことがベストであると考えましたが、当時の売上が約26億円以上あったためこれは現実的ではありませんでした。

M&Aのプロセス

上場を検討し始めた頃に、M&Aが盛んになってきたのか毎週様々な仲介会社からアプローチを貰い、M&Aを一つの選択肢として認識するようになります。

大手上場企業を筆頭に様々な企業と話をする中で、ファンドや金融企業、同業他社は全て候補企業から外す事にしました。
ファンドや金融系は保育事業を良くしようというよりも、純粋に資産価値を高めて高く売る事を考えており社会福祉事業である保育事業には合わないと感じました。同業他社を除外した理由は、認可事業は運営が特殊で専門知識が必要となりますが、同業他社はそのノウハウを持っているため、うちの社員の持っているキャリアにあまり価値を感じてもらえないと考えました。

譲渡先の候補として一定以上の規模があり保育に興味を持っている企業が良いと考えました。また、元々ノウハウのない企業の方が、現場を回していくためにも社員をより大切にしてくれると思ったからです。
結果としてSOUホールディングス株式会社に株式売却を決めます。SOUは葬儀事業で創業された会社ですが、積極的なM&Aを行い介護・保育事業に進出してきています。SOUは保育事業を第二の柱となる事業と捉えており、オーナーの印象も良かったのでここであればバトンタッチ出来ると感じました。

譲渡先に決めた理由

検討頂いた企業は十数社ありました。
当時の大手企業にとって保育事業は見栄えが良かったと思います。連日の様に待機児童問題がマスコミ等で大きく取り上げられ、社会問題化していた事もあり、企業のブランドイメージを高める目的もあったかもしれません。
しかし大手企業の担当者は保育事業に対して熱量を持っているような印象が持てませんでした。

SOUホールディングス株式会社に譲渡した理由は、事業内容がソーシャル事業であり企業文化が近く感じました。また、財務体力がある。派手な事よりも地に足を付けた経営をされている印象を持ち、先方がうちの社員をリスペクトすると確約してくれた点が大きいです。

先方からは、最低2年残って欲しいとお話がありましたが、僕は持ち主が変わった段階で新しい経営体制に移るのがベストだと考えています。そのため、PMIが完了して若林イズムの会社から、SOUのカルチャーに早い段階で移行すべきであると考えていました。
また、どんなにリスペクト頂いても私は人の下でやっていくのを好まない性格ですし、他にも興味のある事業があったのでそちらに軸足を移してやっていきたいと考えていました。
そのため株式譲渡の約1年後に完全に引継ぎを終えて退任致しました。

譲渡後の生活

現在は既に事業をスタートしていた自身の収益不動産を保有するヴァルハラ・アセットマネジメント社でM&A事業や経営者を目指す若手人材にインキュベーションサポート等を提供する事業をスタートすると同時に、航空関係の事業を行っており、その中でフライトシミュレーター操縦訓練事業を行っています。

私自身昔からパイロットに憧れていて、大学時代にアメリカで免許を取りました。実は妻も同時期にパイロット免許を取得しているんです。
これはあまり一般の方には知られていない事かもしれませんが、JALやANA等実際の航空会社でもパイロットの養成は小型機で基本的な免許を取得した後の旅客機操縦訓練は90%以上フライトシミュレーターで操縦訓練を行います。ルフト エアアカデミー(ジャンボエアライン)は元々客として通ってましたが、そこの会社の社長であるアルパは元々イギリスのBritish Airwaysでボーイング747や737型機の機長をしていた人間で、ある時彼から人気の新しい機体のシミュレーターを導入したいが自分一人では資金が足りないとの話がありました。そこで私も資本の半分を投資しようという話になり約3年前に共同経営のための新会社を設立しました。
※これがジャンポエアライン株式会社(通称ルフト エアアカデミー)

また海外が好きで、コロナ流行前は家族で毎年夏季休暇にはハワイに行っていました。
以前は国内の飛行クラブで飛んでいましたが、国内では中々できなくなってしまったためハワイのホノルル国際空港で航空会社を経営する知人から飛行機を借りて飛ばしていました。
その航空会社の社長と仲良くなり、社長の友人でアメリカン航空で現役の機長をしているアメリカ人パイロットと、その3人でホノルルでパイロット育成訓練学校を作ろうと話を詰めていましたがコロナでペンディングになっていたのでその事業もそろそろ進めて行きたいと考えているところです。

スクルドに入社する社員には、若く独立志向の高い社員がおりました。そこで2年前から社内インキュベーションを立ち上げました。実際にそこから上手くいっている者も出ています。今後は独立精神旺盛な若手を資金面、経営面でサポートして、最終的にMBOで完全に独り立ちできるような事業にも注力していきたいと考えています。
0から1を創り、更にそこから10に事業を育てていく事は本当に大変でとても難しいと実感しています。事業が成功するかどうかは運もとても大きな要素になっています。よって、私は誰にでも起業を勧めるべきではないと言うスタンスです。
そういった状況でもやりたいという人に対しては、なるべく失敗しないようなやり方があるのでそこをバックアップ出来ればと思っています。

これからは航空関連事業とインキュベーション事業、M&A事業等をメインにやっていきたいと思っています。
今後は、会社の売上や利益のために「嫌いな人間との仕事」や、「自分が好まない仕事」をするつもりはなく、「好きな事を好きな人と好きな時に」するつもりです。

経営者・事業家としての強み

0から新規のプランを作って、企画して事業にする事は得意ですし楽しいです。
経営者として大切なのは、楽天家であることだと感じます。経営者がウジウジ悩んでいてはダメです。
1番重要なのは、経営者は「決める事が出来るか否か」だと思います。100%の答えは誰にもわからないし、それが正しいかどうかは後から判断されることなので、判断すべき時にベストまたはベターと思えることを瞬時に判断して決定・実行に移すことは私の強みです。

経営判断に朝令暮改は当たり前だと思っています。常に状況が変化しているにも関わらず、「既にこう決めたから状況が変わる前の方針でやり続ける」経営者は、忌憚なく言わせてもらえれば、無能だと思います。
経営で成功するためには、その辺の柔軟性も必要ですね。

M&Aを考えている人へのアドバイス

将来的に何をやりたいのかでM&Aが良いのかIPOが良いのかを考えないといけません。

IPOをしてこれから更に企業経営という航海を続け企業規模を拡大していきたいのか、
M&Aをしてある程度まとまった資金を得て、経済的自由を手に入れて、FIREでも良いし、好きな人と好きな時間に好きな仕事をするでも良いでしょう。今後の自分がどうなりたいのかを考えて出口戦略を立ててください。

M&AとIPOは根本的に全く異なる性質のものなのですが、混同している若い経営者が非常に多いので、その点の違いはしっかり理解された上で、今後の方針を考えてみて下さい。

若林氏の活動

■ヴァルハラ・アセットマネジメント株式会社
https://walhalla-am.co.jp/


■ルフト エア アカデミー(ジャンボ エアライン株式会社)
https://luftairacademy.com/

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