1988年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)に入社。2012年11月、DeNA入社1年目に公認会計士試験論文式試験に合格。2017年2月よりホテル・旅館の宿泊予約サイト 「Relux」を運営する株式会社Loco Partnersに入社し、バックオフィス全般を管掌。副業で実家の有限会社川勇商店の三代目として、実家のデューデリからM&Aまで経験。また、認定NPO法人3keysの認定取得支援を行い、監事に就任。2021年9月 楯の川酒造株式会社 取締役就任。2022年9月より取締役を辞して、執行に専念するため執行役員に就任。組織内会計士広報専門委員会専門委員。
私は世田谷区八幡山にある小売酒屋の長男として生まれました。
高校時代に進路を考えた際、実家を継いだほうが良いのだろうかと気になり、父に「継いだほうが良いのか?」と聞くと「小売に未来はないから資格をとれ」という言葉が返ってきました。
そこでどんな資格を取得しようかと調べてみたところ、それなりの進学校に在籍していたこともあり、公認会計士・弁護士・医者といういわゆる国家三大資格に興味が湧きました。実家が商売を行っていた事、数字を扱うことが好きだった事、地元の祭の手伝いなどリアルな経済活動に触れる機会が多かったこともあり、手に職を付けて働くのであれば会計士だろうと考えて、公認会計士を目指すことにしました。
早稲田大学入学後は、現在では会計士合格率No.1の実績があるCPA会計学院に通ってWスクールを開始しました。
大学時代はゼミ活動・サークル活動・資格の勉強と大学生活を謳歌します。大学3年時に会計士の短答式試験に合格。冬には一般の就職活動をすることにしました。
会計士のほとんどが監査法人に就職しますが、私は事業会社への就職を考えました。
その理由は、他の会計士と差別化をしてどのように独自のキャリアを築いていくべきか考えた結果、ブルーオーシャンでなるべく敵が少なく且つ会計士資格を活かせる環境を探したところ、事業会社への就職という解にたどり着きました。
就職活動の末、2011年3月頃に株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)に就職を決めます。その後は公認会計士論文式試験に向けて勉強に励みましたが、2011年8月に行われた試験では企業法のみ合格、残り科目は残念ながら落ちてしまいました。
普通であればDeNAから内定を貰っていたら、そのまま会計士を諦めて新卒でDeNAに入社をするか、DeNAの内定を辞退して会計士試験に専念するという判断をするのかもしれませんが、私はどちらも諦めたくなかったので、もう1年だけと決めてDeNAに新卒入社し働きながら会計士試験にチャレンジすることにしました。
DeNA入社後は新卒で初めて経理部に配属され、平日は仕事に邁進し、休日や通勤の往復時間などの隙間時間は資格取得の勉強に費やしました。
結果として社会人1年目の2012年8月に論文式試験に合格し、公認会計士としてのキャリアがスタートしました。働きながらの資格勉強は正直とても大変でしたが、それを乗り越えた成功体験は貴重なものでした。
DeNA入社当初に会計システムの刷新プロジェクトに参加し、大手コンサル会社の方と仕事をする中で課題解決力の基礎を身につける事が出来ました。DeNAの創業者である南場氏がマッキンゼー出身である事もあり、社内は物事をロジカルに考える文化があり、その点は現在の私の仕事のやり方にも大きく影響しています。また、多くの課題の中からどれが重要であるか見抜く力もつきました。
DeNAに在籍していた4年9か月では、単体決算をはじめとしてIFRSでの連結決算や、原価計算、固定資産、システム導入と運用、会計システム刷新、海外・国内子会社管理など、様々な経験をし、貴重な上場企業での会計業務を一通り身につける事が出来ました。
業務外では日本酒好きな同僚と飲みに行くことが段々と増えてきました。その際に、当時から人気が出ていた獺祭の次にブームになるような日本酒を紹介されて飲んでみたところ、安いにもかかわらず、とても美味しいと感じました。当時の私は日本酒についてあまり知識がありませんでしたが、それがキッカケで日本酒に徐々にハマっていく事になりました。
日本酒に夢中になるにしたがって、実家の小売酒屋の存在が気になっていきます。私が実家を継がなければ無くなってしまうかもしれないと考えるようになり、実家にも自分のリソースを割きたいと思い、副業可能な会社への転職に動き出しました。
また、自身の会計士としてのキャリアを考えた際に、私より上の世代がCFOとして活躍されているのを見ていたので、会計だけではなく、法務・労務・総務・人事などCFOとして必要なスキルを身に着けることができる環境を探して、株式会社Loco Partnersに2017年に転職しました。
Loco Partners入社後は実家の状況把握から開始しました。
当時の実家の経理は数万円の月額顧問料で顧問税理士に外部委託しており、毎月顧問税理士から届く紙の試算表に父が目を通しているという状況でした。
今のご時世はクラウド会計が主流になりつつあるということが分かっていたので、クラウド会計の導入により経理業務をほぼ内製化することで大幅なコストカットを実現しました。経理の内製化の過程で、過去数年分の売上高の推移や、商品ラインナップ、販売実績、取引先を分析することによって、実家の全体像を把握することができました。また、実家は旧酒販免許の他にもたばこ、酒、塩などの販売免許を有していることも分かりました。
一方で、日本酒の小売酒屋として実家を見た際に特に懇意にしている酒蔵がなかったため、まずは酒蔵の方に会いに行くことにしました。例えば、母校の早稲田のOB会の縁で日本酒の早慶戦の「美酒早慶戦」で幹事をやらせて頂いた結果、早慶出身者が経営をしている酒蔵の方々との人脈ができ、来るべきタイミングがきて実家を本格的に継いだ際に生きるであろう酒蔵の方々とのネットワークを構築することができました。
2018年の頭に、株式会社Clearの生駒氏からのFacebook Messengerがキッカケで、M&Aに向けて動いていくことになりました。
生駒氏との出会いは、2016年まで遡ります。当時、Clear社が運営する「SAKETIMES」を愛読しており、いつか生駒氏に会ってみたいと思っていました。そこで、生駒氏が参加されるイベントに参加し、一緒に飲みに行かせてもらったことがあります。その際に「うちがECをやる時にお声かけするかもしれません」とお話頂いていました。
Clear社はEC事業を始めるにあたって、旧酒販免許を取得したいと考えていたようです。旧酒販免許とは、現在の酒販免許ではECで販売できない課税移出数量3,000キロリットル以上の国内酒造メーカーが製造する酒類が扱える昭和期に発行された幻の免許のことであり、実家の有限会社川勇商店が保有しているものでした。
Clear社は自社の日本酒ブランドを立ち上げ、高価格帯の日本酒プラットフォームをつくりたいと考えており、「安くてそこそこ美味い」と大半の日本人が日本酒に抱く価値観に挑戦しようとする生駒氏の想いに私も共感し、心を動かされました。
また、Clear社が楯の川酒造と協力して作っていた日本酒「百光」の試作品を飲んだ時に「この日本酒なら日本酒市場を変える可能性がある」と感じ、選択肢の一つとして実家のM&Aを本格的に考える事にしました。
両親にClear社を説明、また会社を買いたいとの話が来ている旨を伝えたところ、売却に対してはネガティブに捉えてはいませんでした。
その上で父親から「取引のある飲食店への配達は継続してやりたい」との希望があり、そう考えると単に酒販免許を売却するだけでなく事業を存続できる形をとる必要がありました。
「酒屋の売却」と言うとそれほど難しいイメージはないかもしれませんが、酒販を営む会社のM&Aで、様々な手続きや相続などの問題もあり、道のりは険しいものに見えました。
ただ、準備を進めていく中で気がつけば私の中にも熱い想いが芽生えてきていました。
解決しきれない課題に関しては、自身が会計士でもあり、ネットワークもあったので周りの日本酒好きの専門家の力を借りることにし、以前参加した大学OB会主催の酒蔵見学で知り合った弁護士法人ほくと総合法律事務所の千葉恵介先生と二人三脚で話を進めていく事になりました。
今回のM&Aで大きな課題は旧酒販免許の譲渡についてでした。
調べたところ旧酒販免許自体は譲渡することはできませんが、旧酒販免許を保有している法人の株式ごとの売却は可能だったので、有限会社川勇商店に旧酒販免許を残す形で、Clear社に買収してもらうという方法を考えました。
また、父の「飲食店への配達は継続したい」という希望に関しては、新たに株式会社を設立して、その会社名義で新規に一般酒販免許を取得することで解決しました。新会社の設立と一般酒販免許の取得が完了したタイミングで、有限会社川勇商店から実家が行う酒販事業に関連する資産と負債等を分離し、酒販免許を有する新会社へと譲渡しました。これにより、現在でも実家で飲食店への配達を継続できています。
有限会社川勇商店に関しては、株式等の所有者である父と祖母からClear社へと売却し、Clear社は子会社となる川勇商店の旧酒販免許での酒販事業を行うことができるようになりました。
決してスムーズにディールが進んだわけではありませんでしたが、結果的にClear社は旧酒販免許を取得し、家族は事業を継続する事が出来、両者の希望が叶う形で無事売却が完了しました。
譲渡後は引き続きLoco Partnersで働いておりました。
Clear社へのM&A経験という実績も引っ提げつつ、継続して日本酒業界へのネットワークを広げていきました。
ただ、日本酒について調べて知見を貯めていく中で、「これ以上は実際に酒蔵に入ってみないと分からないかもしれない」と感じるようになりました。また、Loco Partnersではコロナ禍での旅行業界の事業運営や創業者の退任など、未曽有の事態を体験する貴重な経験ができ、最終的に人事部長まで経験することができたので、入社の目的であった「CFOを目指せるようなスキルセット」は一定できたと感じました。
次のキャリアを考えていく中でIPO準備企業も検討しましたが、やはり日本酒が気になってしまい、日本酒の酒蔵で受け入れてくれるような企業はないかなと心の隅で思いながら色々な選択肢を探していました。
そんな中、2021年1月に知人からビズリーチに「百光」を醸造している楯の川酒造がD2C企業や酒蔵を買いたいとの記事が掲載されていると聞いたので、知人からの打診もありFacebookで楯の川酒造の社長の佐藤淳平氏を調べたところ、案の定、生駒氏を始め共通の知人がいたため、実家のM&Aエピソードを添えてメッセージを送りオンラインでお話を伺わせて頂きました。
様々な話をしていく中で経営コンサルをしてほしいとお話を頂いたので、副業で経営コンサルとして参画することになりました。副業で関わる中で、もっと本格的に参画していきたいと感じていた時に社長からも「次の成長のために協力して欲しい」とお話しを頂きまして、2021年9月より正式に参画することにしました。
今後は楯の川酒造の更なる成長に寄与する事はもちろんの事、日本酒市場の高価格帯の壁を越えていきたいと考えています。
日本酒の高価格市場は「百光」が切り開いたとは思いますが、まだまだ高価格帯の日本酒が恒常的に売れるような世の中ではないので、新ブランド「SAKERISE」や精米歩合1%の日本酒「光明」など高精白の日本酒を武器に高級レストラン・ホテルへの展開やEC事業を積極的に行っていきます。
日本酒は製造業なので、「数量×単価」の世界です。
会社単体で売上を上げるには設備投資により生産能力向上や冬季以外の時期での醸造により稼働を上げて「数量」を上げるか、日本酒の付加価値を明らかにし、市場に受け入れられる形で「単価」を上げるかに落ち着くと考えています。それ以外の方法として、他の酒蔵を買収して、既存ブランドの再建や新しいブランドの立ち上げというコーポレートアクションを交えた選択肢もあると考えています。
また、酒蔵特化のM&A支援サービスも面白いかと思います。弊社の6代目蔵元の佐藤淳平社長が1社酒蔵再建の実績があるので、楯の川酒造で新規事業としてコンサルやM&A事業を立ち上げることも考えています。
私自身としては、酒蔵経営に携わる身としては、ITを活用した「酒蔵DX」の推進により働きやすい環境構築と生産性向上に寄与すること、専門性や今まで培った経験を活かして経営の舵取りをサポートすること、また、会計士として酒蔵経営に関わる中で「日本酒のディスクロージャー」は私のライフテーマなのではと考えるようになったので、一人の日本酒好きとして日本酒に向き合いながらも自身も知識や経験を研鑽し、周りに日本酒の魅力を伝えられるように努めていきたいです。
M&Aを考えている人は一度仲介会社に相談してデューデリを受けてみると、自社のアセットに気づいたり不足している経営資源が何か分かったりと新たな発見があると思います。
それによって出揃った情報をもとに他社と提携したり、銀行融資を受けて更なる成長を目指すなど様々な選択肢が生まれてくる可能性があります。誰にも相談が出来ずに抱え込んでしまう経営者の方も多くいらっしゃると思うので、ぜひ専門家や周りの方に相談してみて欲しいと思います。
実家のM&Aをする際に相談した会計士の先輩でM&A仲介会社の代表の方がおりますが、先日お会いした際もM&A業界は「いまだにハゲタカのようなイメージが残っているのでその業界イメージを変えたい」と仰っていました。「実家を売る」となると仰々しく聞こえるかもしれませんが、私の実家の事例のように、うまく専門家の力を借りることで新たな選択肢が見つかる可能性があると思いますので、悩んでいるようであれば、まずはM&Aの門戸を叩いて欲しいなと思います。
■楯の川酒造株式会社
https://www.tatenokawa.com/ja/sake/
■認定NPO法人3keys(スリーキーズ)
https://3keys.jp/
■組織内会計士協議会
https://paib.jicpa.or.jp/