1987年、大阪府八尾市出身。高校卒業後に単身上京、19歳からナイトワークを始め、20歳で自身の飲食店を出店。その後、未経験で不動産会社の営業職に転職し、入社7ヵ月で賃貸事業部責任者、入社1年半で人事責任者を務める。社内新規事業として始動した「昼job」の事業立ち上げを任され、2018年にスピンアウトした株式会社昼jobで代表取締役に就任。 2020年5月に株式会社デザインワン・ジャパンへ株式譲渡を経験。現在も同社代表取締役を務める。
幼いころからよく”変わっている子”と言われていました。
親には「お前はこのまま実家に居たらロクな人間にならないから東京に行きなさい」と言われ、高校卒業後には浅草で舞台劇場を営む叔母のもとで働くように父親が話をつけており上京する事となります。昼間は劇場の手伝いをして、夜は元々興味があったバーの仕事を始めました。
20歳の時に自身のバーを開業します。1から作り上げた店舗は順調にいっていましたが、徐々にサラリーマンへの憧れを抱きます。高校卒業後に舞台の裏方から水商売を経験して、いわゆる一般的な仕事をした事がありませんでした。”普通な人”として見られたいという感情が湧き、スーツを着て電車に揺られているようなサラリーマンが羨ましくみえました。そこからお店は知人に譲る事にして、仕事を探し始めます。
自身の経歴や年齢から仕事を探しても、出てくる求人は飛び込みの営業などいわゆる「ゴリゴリの営業職」ばかりで正直やりたいという気持ちにはなれませんでした。また、当時そこそこ家賃の高い家に住んでいたため、求人の給与をみても生活が厳しくなってしまうと感じていました。そこで憧れていたサラリーマンではなく時給の良いパチンコ店でアルバイトを始める事になり、後に正社員登用される事となります。
私は自己肯定感がとにかく低い人間だったため、仕事すら真面目に出来なければ生きている価値はないと感じていました。その分仕事は死に物狂いでやりました。どれだけサービス残業があろうが全部の業務をこなし、文句を言ったことも不満に感じた事もありませんでした。アルバイトで入っているにも関わらず朝8時から翌朝5時まで働いた事もあります。1時間休憩室で仮眠して、一旦家に帰ってシャワーを浴びて再度朝番で出勤する、などのサービス残業を自ら行っていました。なので、社員の方よりも働いていましたね。
「仕事で自身の価値を見出さなければならない」と、強迫観念のように思っていました。
最終的にはパチンコ店で、主任まで昇進する事ができました。
結婚して子どもが生まれた事で、転職を考えました。
私は元々ギャンブルをしない人間で、いつか息子が大きくなり「パパは何の仕事しているの?」と聞かれた時に誇れる仕事だろうかと考えていました。また、当時の自分は理想の父親像と大きなギャップがあり、会社組織で働きたいと考えて年齢の事もありラストチャンスと思い不動産会社に就職しました。
私が配属された店舗の店長は、営業成績トップで社内でも有名な人でした。とにかくその人を徹底的に真似しました。お客様と店長の商談時の会話を録音させてもらい、その録音データを通勤時に聞いて、会話の文言や話の組み立て方を取り入れました。その甲斐あって早期で結果が出て、会社史上最速で店長に就任する事になります。
その後、本社に幹部陣が集められた際に社長から、「3日間与えるので各々の将来像を考えてくるように」と言われました。その際、CEOやCOO等ある中で「C■Oになりたいのか」と言われました。検索をしていく中で、1番ピンと来たのが”CHO”でした。社長にその旨を伝えたところ人事の立ち上げを任されることになります。
会社で人事責任者を任されていた時に「静岡のキャバクラでナンバーワンだった」と話す21歳の女性が営業職として面接を受けにきたことが、昼job立ち上げのキッカケとなります。
その女性は履歴書に記載できるような経歴は何もなく、証明写真はプリクラ、自己PR欄には、自分がナンバーワンになるために行っていた事がずらりと書き並べられており、社会人としてのマナーが全く備わっていませんでした。
本来であれば書類の時点で不採用なのですが、ここまでぶっ飛んでいると逆に面白くなってしまい会ってみたいと思いました。
実際に会ってみると、体から湯気が出るのではないかと思うぐらい熱量が凄かったです。何社も受けては落ちていたようで、ここで採用してもらえなければ私はもう終わりですと言わんばかりの雰囲気でした。周りからは反対されましたが、当時の社長と掛け合って半ば強引に採用しました。
しかしこれが吉と出ます。彼女は僕が思った通りに、とんでもない好成績を叩き出したのです。
この経験から、ナイトワーカーの中にはこれくらい結果にこだわる事の出来る人材が他にもいるのではないかと考えるようになりました。そこから自社採用の強化のために、簡単なLPを作成してナイトワーカーからの転職希望者を自社で採用しようと動き出します。驚くことに1か月目から100件程の応募がありました。実際に面接をする中で、良い人材だが不動産向きではないと感じた候補者には、知り合いの会社に無償で紹介していました。その中で実際に2〜3名採用になった方がいて、これだけ登録がありマッチングするのであれば人材紹介事業として成立すると考えました。
最初は社内ベンチャーとして事業運営を行い、3か月後にスピンアウトして不動産の社長にも株式を持って頂く形で独立しました。起業してからは特に大きな苦労もなく順調に事業が成長していきました。
実は株式会社昼jobはM&Aを前提に立ち上げた会社です。
なぜ起業当初から昼jobの売却を考えていたかというと、『会社に対する信用』の問題です。
創業前から想定していた事ではあるのですが、クライアント側からは「反社会的勢力と繋がりがあるのではないか、求職者側からは変な会社を紹介されるのではないか」など不安の声を頂くことがありました。
このネガティブイメージを払拭するためには、頑張って実績を作ったところで計り知れない月日が必要です。その上で、M&Aをする事により大手・有名企業の傘下に入る事で、社会的な信用を確固たるものにして事業展開していきたいと考えていました。
半ば無理だろうと思いながらも起業から1年後にM&Aをすることを目標に掲げました。
実際には起業から約2年半後にM&Aに向けて動き出します。
5社とトップ面談をして、「エキテン」を運営している株式会社デザインワン・ジャパンに株式譲渡する事に決めました。
譲渡先を選定するにあたって、烏滸がましいですが「親会社となる会社の社長を好きになれるか」を重要視していました。また、先ほどもお話ししたようにネームバリューがある又は上場企業と手を組めればと考えていました。
コロナの影響はありましたが、ディール自体は約半年間で比較的スピード感のあるM&Aだったかと思います。
親会社が上場しているので各部門が整備されており、各専門職種のプロの方が社内に居るので大変助かっています。
その反面、苦労している点は上場企業の管理体制に自社も近づける必要があることですね。
しかしながら、会社組織が大きくなる上で必要な体制整備であるとも感じているので、会社としてはより強固な体制を構築出来ています。
私にとって昼jobは天職だと思っているので、親会社さえ良ければ一生続けていきたいです。
私の強みは、プレゼンが得意なことですね。
株式会社デザインワン・ジャパンの高畠氏に、なぜ昼jobを買っていただけたのか伺ったことがあります。
その時に「坪嶋さんの人柄と熱量です」と言われました。実際にバイアウトをする際にほとんどの方がお金の話をするそうですが、私はお金の話は殆どせず、この事業に対する想いやどれだけ素晴らしいサービスかを熱弁しました。
この時のプレゼンによって”この人の会社なら買いたい”と思って頂けたようです。
売却を考えた際に、まず1番にお金のことを考える人が多いと思います。
M&Aをすると基本的にロックアップがあるので相手先企業との相性はとても大切です。現に私の知り合いの方で、ロックアップ期間に鬱になってしまった人もいます。ぜひお金よりも優先すべき点をしっかり考えて取り組んでもらいたいです。
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