稲垣恵美氏

譲渡企業:ビアンカグループ(株式会社UIM、株式会社NIM、株式会社Bianca STELLA、株式会社Bianca EAST、株式会社Bianca VENUS、株式会社JEWEL)
  譲受企業:株式会社鉄人化計画

人とのご縁を大切に、女性の美しさを追求する起業家

栃木県宇都宮市出身。大学卒業後、26歳で飲食店を開業。3年間経営した後に飲食店を閉業し、美容の世界へ。アートメイクやまつ毛パーマやまつ毛エクステンション等のインストラクターをやりながら2003年4月、麻布十番のマンションでプライベートサロンBiancaを開業。2006年に麻布十番から神楽坂へ移転し、2009年に株式会社UIMを設立。初のテナントサロンとして「Bianca 神楽坂店」をオープン。その後も多店舗展開を行い、高円寺、恵比寿、渋谷、新宿、中野と続々と店舗をオープンする。更にヘッドスパ&コラーゲンマシンサロンの開業や、沖縄への店舗展開、ビアンカグループオリジナル化粧品ブランドの「B・Rapport」シリーズ開発・生産・販売にも着手。2016年には「CAFE & BAR 1363 神楽坂店」をオープン。2019年にはエステ、整体の新事業にも取り組み更に多角的な経営を行う。2021年にビアンカグループの一部を東証2部株式会社鉄人化計画へ売却。 現在はビーシスグループの代表を務めながら株式会社鉄人化計画経営特別顧問も兼任。

譲渡企業

会社名
ビアンカグループ(株式会社UIM、株式会社NIM、株式会社Bianca STELLA、株式会社Bianca EAST、株式会社Bianca VENUS、株式会社JEWEL)
事業内容
全国・渋谷区、新宿区、豊島区、さいたま市、横浜市、沖縄県に多数のネイルサロン、マツエクサロン、アイブロウサロン、ヘッドスパサロンを展開するグループ会社。

譲渡内容

譲渡額
非公開
譲渡範囲
非公開

EXITERの経歴

氏名
稲垣恵美
経歴
栃木県宇都宮市出身。大学卒業後、26歳で飲食店を開業。3年間経営した後に飲食店を閉業し、美容の世界へ。アートメイクやまつ毛パーマやまつ毛エクステンション等のインストラクターをやりながら2003年4月、麻布十番のマンションでプライベートサロンBiancaを開業。2006年に麻布十番から神楽坂へ移転し、2009年に株式会社UIMを設立。初のテナントサロンとして「Bianca 神楽坂店」をオープン。その後も多店舗展開を行い、高円寺、恵比寿、渋谷、新宿、中野と続々と店舗をオープンする。更にヘッドスパ&コラーゲンマシンサロンの開業や、沖縄への店舗展開、ビアンカグループオリジナル化粧品ブランドの「B・Rapport」シリーズ開発・生産・販売にも着手。2016年には「CAFE & BAR 1363 神楽坂店」をオープン。2019年にはエステ、整体の新事業にも取り組み更に多角的な経営を行う。2021年にビアンカグループの一部を東証2部株式会社鉄人化計画へ売却。 現在はビーシスグループの代表を務めながら株式会社鉄人化計画経営特別顧問も兼任。

起業を志すようになったきっかけ

高校生の頃は両親が公務員であることや、生まれ育ったまわりの環境などから自分の将来は学校の先生になるのだと思い過ごしていました。
そんな平凡な日々を過ごす中で、漠然と「東京に行ってみたい」という思いから、東京の大学に入学し、上京しました。

東京に来てからは友人のお手伝いで飲食店のアルバイトをするようになり、そこで様々な起業家や高い地位を築いている方々と出会い、お話をすることが出来ました。
出会う起業家達のお話はとても勉強になり、徐々に私自身も将来は起業したいなと思うようになりました。

独立するまでの経緯

大学を卒業してからは就職するという考えは特になかったので、日々アルバイトをしながら生計を立てていました。
そんな生活を続けていた26歳の時、友人が開業予定の飲食店を金銭的な都合で開業できなくなってしまったことをきっかけに、友人の代わりにお金を借りて飲食店を開業することになりました。

開業したはいいものの、経営は苦難の連続で今すぐにでもやめたいと思いつつ日々働いていました。
店舗自体が3年契約の定期借家の店舗だったので、まずは開業資金として借りたお金を3年間で返済することを目標に一生懸命働きました。
多くの苦難があったものの、これまでご縁があった多くの方々にバックオフィスの業務などを支えて頂き、経営を続けることができ、無事に3年間で開業資金の完済を果たすことができたので店舗は閉業しました。

その後1年間、何をしようかと考えていた時にこれからの時代、女性も手に職をつけて生きていかねばと思い、美容業界に入ることを決意しました。

ビアンカの創業

最初はアートメイク業界に興味を持ち、30歳でアートメイクのスクールに通い始め、1から勉強を開始しました。また、いろんな知識を入れようとまつ毛エクステンションやネイル、エステも学びました。
数か月で卒業しその後はスクールでインストラクターとなり、業務委託として働きながら同時並行で自宅兼サロンの美容サロン「ビアンカ」を開業しました。

最初はインストラクターとして働いているときの生徒が学校を卒業したのちに働くところがないということで、自分の自宅兼サロンを手伝ってもらっていました。
ありがたいことに徐々にお客様が増えてきたので、当時麻布にあった自宅兼サロンが手狭になり、神楽坂の広い家に引っ越すことにしました。
そうして2006年に神楽坂で自宅兼サロンを開業しました。
その後も順調にお客様も増えていき、2009年には神楽坂にテナントを借りて店舗型のサロンをオープンしました。

多店舗展開と多角的な事業展開

神楽坂に店舗型サロンをオープンした時は、私がスタッフ教育、営業管理を行うことが出来たので、うまく運営を行うことができていました。
しかし、2店舗目の高円寺店、そして3店舗目の恵比寿店の運営は非常に大変でした。
これまで自分が店舗にいてやっていたことを、自分の代わりに店舗に店長を立てて、その店長がサロンワーク全般を見て、スタッフ教育をしていくという流れに変わり、うまく店長を育て上げることが出来ずに2年間くらいは思うように売上も上がらず、サロン運営は困難の連続でした。
しばらくは2店舗分の赤字を神楽坂店で補いながら経営を続けるという日々が続きました。

また、その時期にちょうど私自身の出産も重なり、本当に大変な毎日でした。
この時の教訓を生かし、4店舗目からは店長になれそうなスタッフをしっかり育てて新店舗の店長として送り込むようにしてからはうまく回るようになりました。
そして、店長会や勉強会を定期的に実施して教育体制も整えスタッフの意識改革を強化し、店舗展開を円滑にしていきました。

ビアンカの店舗を広げていく一方で、多角的な事業展開も進めていきました。
きっかけはすべて人とのご縁でした。

ネイルやまつ毛のサロン(現ビアンカ)は、従業員の女の子がネイルをやりたいと言っていたのを耳にし、スクールに通ってもらいメニュー化しました。ヘッドスパはまつ毛エクステが美容師免許必須になった後、美容師免許を持っていない従業員に次は何をやりたいか聞いたところ、ヘッドスパをやりたいということだったので始めました。
整体はビアンカのお客様で店舗経営がうまくいかないという方がおり、ビアンカの傘下にしてほしいと頼まれたのでM&Aを行い、整体の事業をビアンカグループとして始めました。また、エステも私自身が通っていたエステサロンのエステシャンが独立することになり応援していたら、一緒に働きたいと言われエステサロンを立ち上げました。
飲食店事業は自社の事務員が飲食店をやりたいというのでオープンしましたし、化粧品のB・Rapportはビアンカのお客様で化粧品会社の社長の方が工場などをすべて紹介してくださったので、開発製造、販売を行うことができました。

ビアンカグループでは法人をエリアごとに細かく分けており、最終的には8法人という多くの法人をもつグループになりました。
多角的に事業を展開していたから法人を細かく分けていたわけではありません。

理由としては出店する沿線ごとに法人を細かく分けて、後々はその法人を従業員に渡そうと考えていたからです。
その背景には私自身が20代の頃に何がしたいのか、何が出来るのか、結婚していく友人に焦り、いろいろと悩んだことがありました。
女性でも男性と対等に戦い、男性に頼らないで生きていける、手に職をつけることで自分のところで働くスタッフの皆が、そんな生き方もできる会社を作りたいと考えていました。
いずれは自分のスタッフたちにこの会社を渡し、独立してもらいたいと思っていました。

しかし結果的にはそうなりませんでした。
女性はやはり結婚して退社していくケースだったり、子育しながらの現場がつらいという声が多かったり、リスクを背負って経営して働くよりは大きい会社で雇われたいという声がとても多く上がったからです。
大きい会社で幹部になりたい、働き方のいい会社で働きたいという従業員の皆の思いを受け止め、最終的には私がグループをまとめることにしました。

M&Aプロセス

コロナ前から社員数が240名を超えた頃、自分の中で荷が重くなってきていることを実感していました。
ビアンカグループはずっと無借金経営で続けてきましたが、いいものはずっとは続かない、どこかで必ず落ちる時が来るということはビジネスを行う上でいつも考えていました。
私自身にはビジネスのノウハウもなければ勉強もしたこともないですし、もし仮に震災が発生する、もしくは何か大きな問題が発生した時にどうやって240人の人生を守るのか、ということを考えたとき、とても怖くなりました。
そうは言うものの止まってしまったらビジネスは衰退してしまうので進み続け、店舗はどんどん増えていきますし、新たな事業のお話もいただくことが多くありました。

そこで自分の親戚の起業家の方や、日ごろからお世話になっている起業家の方々に自分の想いを相談したところ、リスクヘッジはした方がいいというお話をされ、M&Aのお話しを聞きました。
ちょうどその頃に、知人から日本M&Aセンターを紹介してもらい、M&Aを本格的に進めることにしました。

M&Aの受け渡し先企業の条件として、同じ事業である美容の事業を持っていない会社に対して売却をしたいという要望を出していました。
その理由としては、もし受け渡し先の企業に美容の事業があった場合、ビアンカが傘下に入るとビアンカの社員は必然的にその受け渡し先の企業の美容事業の下につけられてしまうと考えたからです。
自分たちの会社のマネジャークラスが上に立ち、ビアンカの考えで意思決定を行っていけるようにするために、美容事業のない会社を条件にしました。

また、美容業界という働き方がブラックになりがちな業界の中であっても、働き方をより良く環境を整えることができるかつキャリアアップもできる会社、ということも条件にしていました。

いくつかの企業にお話を頂きましたが、実際に打合せを行ったのは株式会社鉄人化計画一社です。
条件には当てはまっていましたし、考えて試行錯誤する方が失敗するリスクが高くなると考えて、これもご縁だと思い株式会社鉄人化計画への売却を決めました。

譲渡後の生活

現在はビアンカ沖縄のネイル・まつ毛サロン7店舗をビアンカグループのフランチャイズという形で経営しています。
また、別でエステ事業、飲食事業、整体事業は自社に残して経営を行っています。
さらに、化粧品を以前一緒に開発製造、販売を行った社長と一緒にまた新たな化粧品の開発を行う予定です。

これからの挑戦としては、自分自身の多店舗展開、多角的な事業展開でM&Aまで進めることができたノウハウを、これから美容サロンを始める、もしくはまだ1店舗や2店舗しか出店していない経営者に対して自分の経験を話したり、アドバイス出来るような場を作っていきたいと考えています。
それも難しい勉強会の開催等ではなく、友達同士のカフェでの会話のような、そんな伝え方のできるツールを作りたいと思います。
これまでたくさんの方々から頂いたものを、これからは私自身が下の世代へ還元していきたいと考えています。

M&Aを考えている人へのアドバイス

昔は自分の会社を売却することにあまりいいイメージがなかったと思います。
しかしながら自分がやってみて感じたことで、M&Aは売上だけではなく、ノウハウも売ることができるということを実感しました。
今まで築き上げたノウハウが別な会社に引き継がれることで、さらに次のステージへステップアップして進化することができる点も、M&Aの良い点です。
これまでは年を取って事業を続けられなくなる人が会社を閉業する選択を取っていたところを、M&Aであれば誰かが引き継ぎ、さらに伸ばすことができるようになるかもしれません。

また、すごくいいものを開発しても、それを販売する事ができないケースの場合も、販売の得意な会社にM&A出来たら、その商品の価値が認められたりすることが出来ます。

M&Aは自分の世界を他の人に引き継ぐことができるので、終わるのではなく他の誰かがさらに広げたり大きくしたりすることによって、大きな喜びを生むことができると思います。
自分の生活圏内よりも遥かに高いところにM&Aがあると感じている人が多くいると思いますが、実はもっと身近に感じていいものであると、実際に自分が経験してみて思いました。

絶対に良いですよ、ということは言えませんが、悩んでいるのであれば自分でたくさん調べて、読んで、聞いて、M&Aという選択肢を出すこと、検討することはよいことだと私は考えています。

稲垣恵美氏の活動

■ビアンカグループ
https://www.bianca.tokyo/inagaki

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